今回の福島旅行
ほぼ お京が行きたい場所に行っているので
東山温泉に近い場所で1か所くらい観光地も入れておかないと
旦那に申し訳ないなぁと思い
「飯盛山」に行きました
そう、白虎隊で有名な所ね
山の上までは、ず~っと続く階段を上るのですが
もちろん!250円払って「動く坂道」なるもので行きましたよ
平日だったけれど、修学旅行や団体の方たちでいっぱい
でした
白虎隊の墓にお参りしてから少し下ると
「さざえ堂」に着きます

この「さざえ堂」敷地から建物までの距離があまりなくて
上手く建物全体を撮影するの難しい
くるくる螺旋状になった建物です
1796年に建てられたもので
中が2重の螺旋階段になっていて
登る人と下る人が中で一緒にならないという
珍しい構造になっています

内部の天井写真です お札がいっぱい
どうやって 貼ったんだろう?
さざえ堂から さらに少し下った所に

白虎隊の子供たちが決死の思いで通って来た
戸の口堰洞穴 があります
かなりの水量で驚きました
この後の事を思うと…胸が苦しくなります
この洞穴のすぐ横に

「厳島神社」があります
しゃもじがある~
何故ここに 厳島神社なの
飯盛山の別名・弁天山から「弁天様」と呼ばれていたそうですが
明治の神仏分離令により改名
松平容保公により「厳島神社」と名づけられたそうです

説明を読んでもよくわからない
とにかく修学旅行の小学生が多く
旦那はいたる所で
「写真撮ってもらえますかぁ?」と言われて
シャッターを押す係になって 大活躍( ´艸`)プププ

厳島神社の鳥居前に並ぶ小学生を
旦那が撮ってあげてる所です
飯盛山を降りて 次に向かったのが
3年前に泣く泣く諦めた
斉藤 一のお墓がある「阿弥陀寺」へ
ここには 斉藤一のお墓以外にも
会津戦争の東軍墓所や
「御三階」と呼ばれる建物が鶴ヶ城本丸から移築されています
3階建てに見えますが、内部は4階建てで
外からは解らない秘密の階層で密議を行っていたそうです
ここでも おこちゃま達に遭遇
でも、一人静かに 藤田家の墓(斉藤一の墓)と東軍墓地に
参る事が出来て 何とも言えない気持ちになりました
安堵したというか、すっきりしたとうか‥

ちらっと「会津新選組記念館」にも寄りました
そして、次の日
前回の福島旅行で会津の街から離れているからと
諦めた「大内宿」に行きました
会津からだと車で1時間くらいかな
最近は、大人気の観光名所だそうで土日は大混雑だそうですよ
この日も平日でしたが観光バスが何十台も停まっていました

茅葺屋根の建物が沢山立ち並ぶ宿場町です
土方歳三が会津の街に向かう時、ここを通ったそうです
この写真を撮るために ものすっごく急な階段を直登します
こちらには、動く坂道が無かったよ~
大内宿街並みの丁度真ん中あたりに神社があります
ここって、御朱印頂けるのかな~?と調べてみました
するとここ、「高倉以仁王を祭っている」「高倉神社」だと
わかりました
平清盛の全盛期に源頼政とともに平家討伐に蜂起した
以仁王(後白河天皇第二皇子)は、戦いに敗れこの村に
落ち延びて来たというロマンを秘めた伝説があります
毎年七月二日に以仁王を祀る祭礼を行っている
という説明書きがありました
もうじき お祭りなんですね

新しい鳥居をくぐって、街並みから外れて歩き神社へ
観光客でこちらに来る人は少ないです

高倉神社です すぐ近くに観光客でにぎわっている場所が
あるとは思えない静けさでした
まさか、福島でそれも土方さんを追って巡り歩いている時に
以仁王に関係する場所にたどり着くなんてびっくり!
平家もそうですが、こういう「都から落ちて来た」話が
沢山あるのですねぇ
お京の頭の中では、完璧に柿澤以仁王のビジュアルが
出来上がっていました
高倉神社とか言うと千葉君の高倉天皇を思ってしまいますが
以仁王の墓所は、京都の高倉神社にあり
以仁王の邸宅が三条高倉にあったので「三条宮」「高倉宮」と
呼ばれたそうです

御朱印もいただけました
大内宿の街並みに戻って


大内宿と言えば これ
という
1本ねぎでいただく 名物のお蕎麦を食べました
これ、食べるのかなり難しかったよ
途中で挫折して 割りばしカモ~ンでした
これで 福島旅行の記事は終了です
行こうと思った所には すべて行けました
リベンジ完了
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