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2008年4月30日 (水)

組と盛岡藩

今日は、調べたいことがあって 図書館から本を借りてきた

シリーズ藩物語「盛岡藩」 佐藤竜一 著

最初のところを読んでいて なんだか 涙が出そうに…

 盛岡藩は「最後の賊藩」とされ、朝敵の屈辱をうけたのである。

 このことは、これから以後長く尾をひいた。盛岡藩出身者は、新政府

 の下では、出世の道を閉ざされたし、「賊軍」という汚名を雪ぐことが

 一つの目標となった。盛岡藩について語ろうとする場合、まずこの点

 を銘記する必要がある。ー 「盛岡藩」より抜粋ー

この後、平民宰相 と呼ばれた 原敬の話が書かれている。

原は、盛岡藩家老の孫としてうまれ、「賊軍」となり、主席家老楢山佐渡が

戦犯として処刑される姿を見、その時の屈辱をいつか晴らそうと心に誓い

明治時代を生き抜く…

薩長新政府のなかで、積年の恨みを晴らそうと、

大正6年に、盛岡の報恩時(楢山佐渡が処刑された所)で、

『戊辰戦争殉難者五十年祭』を盛大に行った

そして、その翌年 内閣総理大臣まで登りつめる。

ーー私が本を読み、まとめたものですーー

 薩長の権力者が「白川以北一山百文」と東北を蔑んだが、俳句を

 こよなく愛した原は号をあえて「一山」とした。

 身分が高い家老の家に生まれながら、爵位を拒み続け、

 「平民宰相」として全うした。それは、低い身分から成り上がり

 栄爵にとびついた藩閥政府の人々に対する反骨の表れといえる。

                         -「盛岡藩」よりー

私の新選組に対する思いと相通じるものがあり…

戊辰戦争で死んでいった人、死を選んだ人

そして、明治時代を生き抜いた人

それぞれの思いが 伝わってきます。

「戊辰戦争は、政見の異同のみ」と原敬も言っている

調べたかったのは 「暦」 のことなんだけど… 

盛岡藩 (シリーズ藩物語)

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コメント

ほう、なるほど。確か、奥羽越列藩同盟の中の1つでしたね。

投稿: 土方副長 | 2008年5月 1日 (木) 17時04分

そう
奥羽越列藩同盟ですね。

会津から降伏謝罪の嘆願書が出されたとき、
奥羽鎮撫総督の九条道考は許可しようとした
そうですが、新選組に暴威をふるわれた記憶
が生々しい長州藩出身の世良修蔵が反対し
却下された…とありました。

板橋での近藤さんを思いだしました。

投稿: お京 | 2008年5月 1日 (木) 18時50分

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